【終戦から80年】鹿児島大空襲慰霊祭 鹿児島市でも約3000人が犠牲にー
●小田アナウンサー・リポート
「80年前、鹿児島市街地は空襲で甚大な被害を受けました。戦争を知る世代が少なくなるなか、平和への教訓をどう伝えていくかが課題となっています」
終戦から80年、鹿児島大空襲で犠牲になった人を悼む慰霊祭が今年も鹿児島市で行われました。
太平洋戦争末期、鹿児島市は8回の空襲を受け、3000人あまりが亡くなりました。 市街地中心部、堀江町の広馬場通り周辺でも200人以上が犠牲になったとされ、最も多くの人が亡くなった空襲の翌日に遺族らで作る会が慰霊祭を行っています。
この慰霊祭に毎年のように参加していたのが、県日中友好協会の名誉会長で、先月、97歳で亡くなった海江田順三郎さんです。
●故・海江田順三郎さん
「国を守るとか最近勇ましいことをいうが、戦争で国は守れない、絶対に」
●広馬場通り戦災鎮魂慰霊の会 玉川哲生会長代理
「終戦80年だが、世界では戦争が起こっている地域がある。当時、生存した方はほとんどいなくなった」
年々難しくなる戦争の記憶の継承―。鹿児島大空襲で家族7人を失った会長の春成幸男さんも来月、100歳を迎えます。
●広馬場通り戦災鎮魂慰霊の会 春成幸男会長
「家族を一瞬にして失ったあの悲劇は一生、生涯忘れることはできないし、あの衝撃はそう簡単に拭えない」
今回、慰霊祭への参加は叶いませんでしたが、懇親会の場でメッセージが代読されました
●春成会長のメッセージ
「もう自分はこの会に出席できない。18日、おいでのみなさんがどうぞお願いだからこの会を続けていってほしい」
●広馬場通り戦災鎮魂慰霊の会 中尾成昭事務局長
「(戦争の経験を)伝えていくことや不戦の誓いをつなぐことは、とても難しいと年々感じている。少なくとも私は命が続く限りライフワークとして(会を)続けていきたい」